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風の槍-第2部(忍び宿)-
 天正十年。
 家康が信長に呼ばれて、安土に向かうという。
 半蔵も「やそ」の父「あたる」もお共に加わり、その露払いに若衆連が動いている。
 こもりの「やそ」の離れへ毎日のように人が訪う。
 一之丞、与助、三猿の伍平、徳助、千蔵。
 一晩泊まっては早朝に飛び出していく。
「旅籠のようやねえ」
 八重が接待に忙しくて「やそ」に言う。
 うれしげに客を迎える「やそ」をみてると、八重もほぐれた気持ちになってくる

 三河から安土、京、石山へ早飛脚のように目まぐるしく往来する伊賀の同胞の中継点としての役割が、こもりのやそ宅であった。
 六月三日。
 一之丞が駆け込んできた。息せき切っていう。信長が本能寺にて明智光秀なるに討たれたるよし、家康に共する半蔵以下百人あまり、石山に止まるが、急ぎ三河に帰らねばならぬ。服部党に連なる者ら、みな集まり合力して、家康殿を守れ。
 戦が始まる。家康は焦った。
 軍勢を整え、一刻も早く西へおしださねば。
 最短で三河へ帰るには、石山から奈良へ伊賀から鈴鹿を越え、桑名あたりから渡しにて三河へ。
 難所はどうしても伊賀、鈴鹿の山越になるが。幸いにも伊賀の半蔵がいる。あたるがいる。
 「養老のこもり」に人が集まりだした。
 幸之進に願って、屋敷内を借りた。
 野に散っていた伊賀衆がいつの間にか三十人。
 「八十一はおるかい。藤林長門と申す。取り次いでくれい」
 「これは、これは、長門さま。喰代以来で、お久しゅうございます。鈴鹿の山に籠もると聞いておりましたが、ご健勝のご様子、なによりです。此度はまた、こんな田舎へなんぞご用でもおありでしたか」
 「なんの、用などなにもありゃせんぞ、信長が討たれたそうな、確かめにきたんさ」
 「はい、明智光秀たらいう信長の将の謀反であると報がありました」
 「そうかい、やはり本当であったかい。伊賀の滝川の将兵が慌ただしく動いておってな、そんな話が聞こえてきおる、伊賀の恨みを儂とこのもんがはらせなんだは口惜しいが、まあええ、そんで、「やそ」らは安土に出かけるんかい」
 「いいえ、儂とこは、半蔵様や父が着いて居る、三河様のご一行が、今、石山におりまする。急ぎ、岡崎から浜松に帰らにゃなりませんので、そのお守りにと集どうております。そこで、長門さまにお尋ねしたいのですが、伊賀から鈴鹿あたりに物騒な衆らがおりますかいな」
 「居らぬとおもうぞ。伊賀から鈴鹿にかけて、手強い山賊はみわたらぬな、五人や十人で盗人働きしとる輩はうんとおるがな、こやつらは、昼日中から徒党を組んで襲うほどの気概はないとおもうぞ。気をつけにゃならんのは、夜さりじゃな、こやつらは夜になるとつむじ風のごとく、手当たりしだいに金目の物をかっさらっていきよる。「やそ」等の衆や儂とこの衆なら手強わくはないが、三河の方にはちとうるさい輩じゃのう。「やそ」さえよけりゃ、儂とこの衆も力貸しいたそうかい」
 「長門さまにお力添えいただければ心強いことです。早速半蔵様にこの旨申し送りまして、手筈いたしましょうか。なにせ山中での行軍は三河のご一行は不得手ゆえ、ご援護が多いほど、お喜びなさろうかと思われます」
 甚兵衛が到着して、服部党四十名ほどを率いる。
 長門の藤林党が五十名、やそ達若衆連六名は遊動隊として任にあたる。
 山道を動きやすいようにと早急に造らせた細身の早駕篭に家康を乗せ、四人で担ぎ、四人が交代要員。
 前後左右に家康親衛隊ともいうべき、後に旗本八万旗を率いる名だたる猛者が護る。
 半蔵が先導する。
 急ぎに急ぎ、伊賀の「さなぐ」の大百姓の家に着いたのが夜半であった。
 重ねた布団に足を投げ出してさすがに疲れた様子だが、食欲は旺盛で湯漬け二杯を干魚と漬け物で平らげていた。
 その家康を二、三十の武将が囲むように居並ぶ。
「半蔵よ、儂らを陰ながら護っとる者らがおりしと聞いたがそちの配下の者かや」
 「はい、半分はわたしの手のもので甚兵衛と申す達者が率いています。後の半分は伊賀の元藤林党の頭領で長門と名乗る仁が率いて、つごうで百名余りが行列を取り巻いて警護にあたっております」
 「そうかや、このあたりはそなたの庭よのう、信長どのに蹂躙され、みな散り散りになったと聞きしが、さぞ口惜しくもあろう。者らに充分の金子を取らせよ。岡崎に入りしときは褒賞を与えしと申し、警固の段くれぐれも頼むとそちより申せ」
 家康の宿舎が見下ろせる小山に社があり、長門と甚兵衛達が屯している。そこへ黒子の公三と皺ん坊の与助が革胴衣を付け薄汚れた人を、後ろ手に縄で縛って、伴ってきた。
 「こやつはな、宿ちかくの田の畦にひそんで伺っていたんさ。公三が見つけて投網で捕らえてきたわ」
 鯉でも捕らえてきたように与助が言う。
 「うぬは何者じゃ。儂は藤林の長門と言う。こちらは服部党の甚兵衛殿と申して、ちと前までこのあたりを領していた伊賀衆の一門じゃよ。こん度、おぬしが睨んでおった、さるお人をお護りいたしておる。そのほうに問う、なにゆえにこの夜更けに畦に伏して屋敷を伺うか有り態に申せ。合点がゆかば解き放つが、うそとおもわばここで斬り殺す。心して申せ」
 この男、擦り傷に青痣、泥にまみれた顔をあげて。
 「藤林の長門様の名は、もとより存じおりますれば。うそは申しませぬ。儂は、明け烏の小平と申す一党の配下の者です。「かさぎ」のあたりから、ものものしき一行が通行すると報せる者があり、小平という儂らの首領が、なんぞ金目のもんでも落ちてやせんかというて。、拾うてみようぞ。いうて、一行の後を追い回している態です」
 「明け烏なんたるは何処に潜むぞ、案内せい」
 長門はいきなり立ち上がり男を促す。
 「ここからついさきの、山仕事の小屋に十五、六人屈んでおりまする」
 小屋を取り囲んで、男を先に、長門、やそ、ひさしの三名が小屋に入ると、気づいた者らが驚愕して槍、刀を取り、身構える。
 「うぬら、何奴じゃ、儂ら、明烏党と申して、泣く子も黙る夜叉の衆ぞ。こないな夜更けにいきなり訪ろうて、驚かすとは我慢ならん。串刺しにしてくれようか」
 「そうかや、そちが小平と申すか」
 と長門。槍を構える暇も与えず、つかつかっと近づき、腕を掴み腰に手をやると天井めがけて放り投げ土に叩きつけた。
 「すわっ」
 と刀を抜き、槍を構える腕を、やそとひさしが瞬時に叩いてまわる。
 「静まれぇ、その方ら、儂は伊賀衆の残党、藤林の長門である。二人は服部党の若衆連である。ゆえあって、その方らが狙う、ご一行の護りをいたしておる。この小屋は取り囲んだ。名乗りを上げた儂らに、戦う気の者あればお受けもうす。前へでられい」
 人垣をわけて、小腰を屈めた男が前にでる。
 「わしが、こやつらの世話をやいとる、小平と申します。わしらも、伊賀近辺に巣くう者、儂らが伊賀衆に逆らうわけがありませぬ。ましてや、長門さまや若衆連と聞いて、刃向かう気は一切ないよって。ご勘弁下さい」
 「あい、解った。本当とおもう。いまより、ここを立ち去るがよい、手出しはいたさぬ。こののち、ご一行の周りに近づかぬがよい。目にしたらば委細かまわず、突き殺すゆえ、覚悟せい」
 鈴鹿の山を過ぎたあたりから、浜松、岡崎から駆けつけた家康の将兵の数が増え始めた。桑名を過ぎ四日市に至る街道沿いに、家康の宿老、本多何某が率いる兵がびっしり並ぶ。
 家康は無事にまず岡崎城に入り浜松に向かう。
 岡崎城を北にすこし下ったあたりに、伊賀屋敷と通称される半蔵や「あたる」の住まいがある。
 周り一帯、伊賀者の長屋で占められている。
 半蔵の屋敷。六人の若衆連が久し振りの逢瀬を楽しんでいる。
 於丸は京。三猿は揃って甲州へ探索に出ている。
 時勢が風雲急を告げている。明日には、喜一、ひさしを残して旅立たねばならない。
 公三が居眠っている。気の許せる場所であると、いつも居眠る。
 公三は夜鼬である。陽が暮れると起きだし、何処へともなく出かける。
 若衆の誰もが闇夜にわずかにでも音がすると、
 「公三かや」
 と問う
 「おうよ」
 と答えの返って来ることもあれば、単に風による葉ずれのときもある。
 闇の貴公子、公三を居眠るにまかせ、皺ん坊の与助が喜一に話す。
 「こもりで次助におうたわ、おんしより大きいに、牛なんひねりつぶすごと力もあるし、於丸が抱かれて赤子のようやった」
 「戯れいうて、与助の言は大仰にきこゆるんぞ、儂も今度半蔵さまに頼んで京へ行こう思うとる。こもりによって次助にも会いたいし」
 「こと平様が言わしゃるには、筑前秀吉が明智追討に動いとるいうての、早晩、戦が始まるらしい。この先、織田方の大将達があちこちで戦するはずやから、この岡崎も大きな支度をしとかにゃならんらしいわ」
 と一之丞が言う。
 城に参上していた半蔵が帰ってきた。
 ずかずかと若衆のたまりに入ってきて。
 「小僧ら、家康さまに過分なお褒めを頂いたぞ。伊賀越え、鈴鹿越えに際して何事もなきは、陰ながらの、長門、甚兵衛、その方らの働きであると。その方らが陰にいつも居るゆえ、この家康。いかほど心強くおもえたか。望むものを与えるゆえ遠慮のう申せと」
 「長門はのう、このまま岡崎に止まり、あたる殿の組に入る。そなたらには、小豆の餅でも所望しとこうかい」
 と上機嫌で軽口を言う。
 半蔵は、このことにより、家康の信用を得、隠密番の地位をしっかり獲得したと云われる。
 やそ、一之丞、与助の三人がのんびりと歩く。
 公三が夜半に飛び出していった。
 今頃、どこぞで居眠っているはず。
 宮へ出て、岐阜に向かう。
 一の宮あたりに来ると、街道に往来する人が多くなってきた。
 いくさ支度で十人、二十人と群れて、急ぎ足で行き過ぎる。
 着たきりの衣服に替えの草鞋ひとつを腰にさし。棒きれを一本づつ持って若いふたり連れが行く。
 大した路銀もなしであろう。羽柴秀吉に肖ろうとて、ひたすら西に向かう。
 いくさ場にいって、槍、刀の一本でも拾うてくれば銭になる。なんぞの仕事もあろうかと、飯喰うあてがころがっていやせんかとの思いで、街道を行く。
 人心は荒んでいる。街道沿いの家々は堅く戸をかざし、自衛団を組んで横着に対しようと身構える。それでも、畑の実りは毟られていく。
 胡瓜、なすび、大根、すぐに食えるものから消えていく。
 腹減らす者を誰も止められない。
 木曽川の川原に大釜で湯を沸かし、芋を煮ては、道行く人に振る舞う奇特な老人がいた。 不思議にどの人も、貰った芋だけうれしそうに喰って、ぺこりと頭をさげ、誰も悪さをしない、二回も、三回も貰いに来る童はいるが、老人は何度でも渡す。
 もとより芋といっても売りにも出せぬ、痩せた、器量の悪い芋ばかり、近在の百姓家を回って集めてきた、種にもならぬ芋である。
 老人を囲んで、煮え挙がった芋をもらっては、うれしそうに帰っていく。
 旅人は芋を食い食い、めざす所へ急ぐ。
 やそ等も川原の石に腰を下ろして、貰った芋を喰いながら、無表情に芋を煮る老人を、なんとのうみている。
 衣服汚れ、蓬髪も白く埃をかむり、大槍を杖に、いかにも戦稼ぎに出かける体の二人連れ。
 「爺さん芋くれ」
 「おお、何処からきたん」
 「飛騨の奥の山ん中や、畑のもん喰ろうて、三日歩いてきたん」
 「そうかい、ようけ食え、痩せ芋でもいもは芋じゃ、力つけろ、そんで、何処行く」
 「戦のあるとこよ、雇うてくれるとこやったら何処でもええが、爺さん何処がええ」
 「大けな声じゃ言えんが、羽柴秀吉が元気もんじゃ、この先いろんな戦があろうが、羽柴様なら、おまえさま方ぐらい喰らわしてくれようぞ」
 「死ぬなや」
 立ち去る埃の塊に声かける。
 長良川を越え、揖斐川を渡り、大垣を後にすると養老の山の登り口が直ぐ近い。
 ゆるやかな坂を登っていくと、楠の根方に男が蹲っていた。公三である。
 「起きたんか、公三」
 「「やそ」と分かれにゃならんから、顔なとよう視とこうか思うて」
 「左門爺の旅籠がすぐやから鮎でも喰うて、お前ら安土へ行けばええ」
 「伊賀衆の誰それが、毎日のようにこの道を走ることになろう。お前方も何度とのう、行き来するよってに、その時は気兼ねのう「こもり」に寄ればええ。公三よ、夜さりには来るなや、顔が視えんよってにな」
 「やそ」一人、こもりに向かった。
 明智光秀が山崎にて羽柴秀吉に討たれる。
 本能寺で信長を葬ってから十一日目であると言う。
 翌、天正十一年、信長の筆頭大将、柴田勝家、賤ヶ岳にて秀吉に敗れる。越前の国北の庄城にて自害。
 こもりにもたらされる報は、秀吉が天下を席巻していく模様ばかりである。
 三河様はどうするか。
 養老口に「やそ」達が鮎を喰らうた旅籠がある。
 「左門御宿」と書かれている。
 伊賀宿である。
 伊賀宿は情報集積の中継点として機能している。
 安土、近江、京、石山、西からもたらされる情報を、左門爺が書面にしたため、伊賀飛脚に渡し、次の中継点に送る。
 例えば(安土城燃ゆる、死人多数、石垣のみが残りたる、五里にも渡ってけぶりたゆたうなり)
 と書いて飛脚に手渡せば、その日のうちに、半蔵が、家康が知ることになる。
 伊賀衆の最重要任務であった。
 この宿を護るのも、「やそ」等の仕事である。
 左門爺。六十はとうに越えたとおもえる。
 痩せて、尾羽打ち枯らした風情にみせてはいるが五十のなかばである。
 さしたる特技はないが、書は巧みである。
 物語るのがうまい。みてきたようにものを言う。
 ときどき半蔵に嘘を申すな。と叱られる。
 魚釣りが好きで、毎日、釣り竿を持って川に行く。岩魚、あまご、鮎、うぐい、はえ、うなぎ、なんでも釣ってくる。
 釣ってきては人に喰わす。
 十日に一度ぐらい、「やそ」が訪れる。
 西のこと、東のこと、左門が物語り、「やそ」が知識を増やす。
 左門が釣りをする脇で寝そべる。
 集めてきた蛆に釣り針をさしては、ひょいひょいと、しらはえを釣っていく。
 竹駕篭に半分にもなった。
 倦んだら、茶を飲み、ごろりと昼寝する。
 釣った魚は焼いて干しておく。
 雪降る頃に、煮しめて、旅人や、飛脚たちの飯の菜にする。
 「於丸がのう、手踊りの一座する川原もんに紛れて笛を吹いとるよ、京の町衆にえらい評判やと。儂も聴きたいのう、於丸の笛を」
 「於丸かや、そうかや」
 「左門爺。羽柴秀吉と三河様とは戦するかや」
 「するやろ、その内にな、秀吉は人気とりがうまいよってに、皆なびく。西の大将方は大方、秀吉に味方するやろなあ、三河様にも気張ってもらわにゃならんが、人数がちがうな、まともではむつかしいて。おまえ方が風雲を巻き起こして龍なと呼べば話はちごうてくるが」
 こもりの集落のはずれに、「やそ」の新家が建てられた。
 「こ煩い奴めらが出入りするよってに、家でも建ててやってはくれぬか」
 と半蔵の頼みで。幸之進が普請した。
 明けて、天正十二年。冬。
 秀吉の動きが気になる。
 家康が情報を欲しがり、三日とあけず飛脚が走る。
 一之丞が公三を伴って、「やそ」宅に現れた。
 竹笊一杯の干し柿を下げて、歯ばかり真っ白に光らせた公三が。
 「日中にきたぞよ、「やそ」。めったに視れんよってによう顔みとけ」
 「おうよ、みとるぞ」
 南向きの日差しの一杯はいる座敷で甘味の乗った干し柿を囓る。去年から、生り物の豊作が続いていて、たわわに実った柿の木をよく目にした。
 「戦が始まるんぞ」
 と一之丞が言う。
 「織田の信雄と秀吉が諍いがあってのう、三河様が信雄に味方するんや。いま、岡崎や浜松では、大童で戦支度よ。服部党も皆集まれいうて、半蔵さまが申されたわ。於丸は戦にむかんよってに京に置いておくんが、若衆連も皆、岡崎に来いとのおおせじゃわ」
 「左門爺が言うとったが、秀吉は人気もんやから、西の大将方はみな秀吉に寄るんやて。三河様も戦上手やから、儂らも始めての大きな戦になるやもしれん。覚悟してでかけにゃならんのう」
 「次助がのう、猪を捕ってきたん、お前方に喰わせるんやいうて、いま、三人がかりでさばいとるよってに、待っとれよ」
 と八重が顔を覗かしていう。
 六人の若者がしし鍋をつつく、その健啖振りを、むら長の幸之進が目を細めて見やる。
 「ししはうまいかや」
 「おおさ、なんや、精のつきそうな歯ごたえや。幸之進さまも喰いなさらんか」
 「わしは獣はよう喰わんぞ。それよりも、「やそ」よ、頼まれてくれんかのう。次助と、此の二人がの、いくさ場に出て、伊賀衆に交じって働きたいと言うんじゃわ、半蔵様にゃ便りを出して許しをもろうとるからええんじゃが、此処から出たことのない若衆やよって、三河に伴のうて一緒にいってくれぬかや」
 「ええぞ。あした、この一之丞と公三が岡崎へいくよってに、一緒に行けばええ。儂も程なく発つよって」
 長久手の戦い
 三月下旬。織田信雄と家康の連合軍三万が尾張の北「小牧山」に布陣した。
 対する秀吉方は五万。軍勢が増えている。
 各所に配置した斥候から、どこそこの何某が到着した旨の報が毎日のように届く。
 岐阜長良川を見下ろす「犬山」周辺にびっしりと戦闘鎧の兵が詰める。
 小牧山からその様子が遠目にだがみえる。
 家康方に援軍はない。
 北条、上杉といった東の脅威に備えがいるため、これ以上の増軍は出来ないのだ。
 四月始め、秀吉方に動きがあった。家康の本拠地、三河岡崎を、攻める。
 三好何某を大将に一万余りが早や出発したという。
 三河は家康の血脈である。三河が秀吉方に落とされては、孤立した流浪の軍勢になる。 家康自ら、三河の精鋭、旗本と呼称される百旗を選び、一万の軍勢が追撃に向かった。
 騎馬で指揮する、あたると長門に率いられた、伊賀衆の突き槍隊五百もその中に加わる。
 呼吸を整えつつ、早足で行軍するのだが、勢い、駆けるように早くなる。
 ひとまず家康方の支城である、小幡の小城に落ち着かせ、朝を待った。
 ようやくに白みかかった空を待ちかねたように一万の軍勢が飛び出した。
 田と田の間に出来た、少し広めの畦道を駆けていく。
 「矢田川」を越え、「岩作」を過ぎたあたりにちらほらと人の集まりがみえる。
 「そらっ、敵ぞっ」
 騎馬武者が、一声吼える
 差配の軍配がうち振られ「掛かれやぃ、掛かれやぃ」
 「うわぁ」
 鬨の声があがり。行軍の足を止める間もなく、朝支度に励む三好方の殿に打ち掛かっていく。
 一際目立って早い一群が、長短の槍の穂先を揃えて、早や、狼狽える集団に突き入っていく。指揮するは、「あたる」と長門。
 負けじと、騎馬武者に率いられた三河衆千人余りが、野にて炊事する二千人余の三好方を突き転がしていく。
 隙を突いたとはいえ余りにも一方的な結末がきた。
 凌辱ともいえる戦い振りであった。
 逃げた者多少。全滅である。
 逃げし者のなかに、この作戦の総大将。三好何某も交じっていたという。
 半刻の後、家康の支城、岩崎城を占拠し、三河へ押し出そうと構えていた三好方の本隊が、殿軍の壊滅の報を受け、あわてて引き返してきた。
 「長久手」の野に、各一万余の軍勢が対峙した。
 鉄砲の打ち掛けから始まった。
 未開墾の藪の間々に田や畑が点在する、草深い地である。狐や狸、うさぎが突然の爆発音に怯える。
 双方、弾の尽きるのを待って、騎馬武者が躍り出る。
 野戦に於いては初手が全て。
 突き槍隊が従い、合戦が始まる。
 家康に着き従う騎士を何時からか旗本と称するようになった。
 百戦錬磨の近習武士団である。その士どもが、三河に入れてなるものかと、必死の思い入れで、初手の激突に挑んだ。
 堂々の正面攻撃。
 一合の後、もはや浮き足だつ三好勢。
 一旦浮き足だった軍勢を立て直すには、その敵の二倍も三倍もの勢威がいる。
 三河の衆は、野戦に於いては天下一と評価の高い武田軍、上杉軍との死闘を何度も繰り返し、経験を得ている。
 あたる、長門の騎馬に率いられた伊賀衆は端に展開して、差配を待つ。
 あたるが、白の吹流しを手にし、長門が真っ赤な吹流しを持つ。
 刻は同じ。
 三好方の一陣が意を決し、突き進むべき方位を定めるや、大喚声を挙げ、突入する。
 その左端目がけて、白、赤二つの吹流しを振ると同時に、あたる、長門が早馬を駆り、伊賀衆が突進する。
 伊賀衆の塊の中から、するすると、黒ずくめの徒士武者が一等抜けだし、騎馬をも追い越す勢いで走る。
 「八十一」である。
 一之丞がつづく、与助がいる。
 陰のように公三がいく。伍平、徳助、千蔵。長身のひさしが走る。
 少し遅れて、大兵の士二人が地響きさせて走る。喜一と次助の兄弟だ。
 若衆連に遅れまじ。伊賀衆五百人の塊が三好の左端から側面に向けて攻撃する。
 三好方も必死で応戦する、二陣、三陣を繰り出すが、勢いを盛り返すにいたらず、散々に、蹴散らされ、突き転がされ、追い回された。
 家康を十騎の騎馬武者が囲む。
 大槍を抱えた半蔵もいる。家康は気が気でなかった。留守の間に秀吉が仕掛けやせぬか。
 「敵の大将、池田何某討ち取ったりぃ」
 大音声で叫ぶものあり。
 「引けぃ」と家康。
 即座に、合図の大旗が振られた。
 家康方の圧勝であった。
 ひとまず、小幡の小城で兵を整え、休ませてから、小牧山に戻る。
 秀吉動かず。
 こんもりと盛り上がった小牧山の麓の百姓家を借りて伊賀の若衆連が集う。特別に家康が計った慰労である。
 僅かだが酒も供され、近在から集めた菜が振る舞われた。
 怪我をした次助の手当をしている。戸板に乗せて四人がかりで運んできたのだ。
 着物を脱がせるとずしりと重い。染み込んだ血が絞れるほどだ。
 甲冑で覆われた胸と腹以外、そこら中に傷を負っていた。
 骨まで届こうかという、太股の裂かれ傷が痛々しい。
 喜助が煮沸かした湯で甲斐甲斐しく全身を拭い、油薬を塗りつけ、晒しを巻いていく。
 「次助はもうちょっとで、大将を打ち据えるとこじゃったわ、十重二十重に囲まれてな、阿修羅のごと金棒振り回して、奮戦したがのう、倒しても、倒しても人が湧いてきよる。そんで、逃げられたわ」
 と喜助が語る。
 「殿のお成りじゃ」
 声がして、伴まわりを従えた家康が顔をのぞかせる。
 「八十一とはど奴じゃ」
 平服する「やそ」へ。
 「そちかや、顔を上げろや」
 「優しげな顔よのう。なんと、背が小さいことか」
 独り言のように千切れ言葉で語る。戸惑う「やそ」。
 「腕なと触らせろや」
 「なんとまぁ太い手足じゃわ」
 「驚いたかや、すまぬ、すまぬ。実はな、本多めが言うんじゃ。昨日の合戦にて、伊賀衆の中で一等抜きん出て、足の速い者がいる。そ奴を目で追っていくと、まるで野を分けて進む疾風の如く敵陣を切っていく。と申すのだわ。そんな者が伊賀衆に居るかやと儂が問うたら、皆視たと言う。半蔵を呼んで、その者は誰ぞと聞いたら、服部あたるが倅、八十一なり、と言うんでな、矢も楯もたまらず、みに来たわ」
 「そちの手足をさすってみて合点がいったわ。その太い手足ならば、本多の申すこと、大法螺でにゃあことがよく解った。その方ら皆、よく戦った。見事であった。褒賞を取らすによって、半蔵から受け取れよ」
 次の日。
 半蔵とあたるが笑顔で現れ。褒美の品と金子を配った。
 「やそ」には、備前ものの大刀一振りと西陣織りの小袋一杯の金子。
 「家康様はえらくお喜びでなあ、「やそ」を是非に傍に置きたいと仰せられたがのう、伊賀のもんは、特に若衆連は野に放って働くが得意の面々。「やそ」は若衆連の束ねゆえ、何卒ご容赦を、言うて断ってきたわ」
 小牧山に対峙して、はや八ヶ月。
 秀吉方は人ばかり増えて、なぜだか、いっこうに仕掛けて来ぬ。
 信雄が懐柔され、戦線を離脱した。
 家康にとって、信雄を助勢するという名目がここで消えた。
 戦する旗印が無くなってしまった。
 「三河へ帰るぞよ」
 十一月の中。家康は浜松に引いた。
 「正月は養老で過ごせや」
 半蔵が言ってくれ。「やそ」は傷の癒えた次助等を伴のうて十二月の末にこもりに戻った。
 左門爺の宿に荷駄や人足が引きも切らず集まるようになった。
 飛脚便の他に、近江、京、大坂、堺あたりの荷を集積して、尾張から美濃、高山まで。三河から駿河あたりまで運ぶ荷駄商いを始めた。
 各所から人足を集めて手配する。
 人足同士の喧嘩、いざこざが毎日のように起こる。
 三十を越えたとこになった。「こもり」の次助が呼ばれ、頭として働くことになった。 近在の者の中で、喧嘩で次助にかなう者は誰一人いない。
 次助は別に、好んで喧嘩するほど荒れた漢ではない。喧嘩する双方の間に六尺豊かな巨躯をぬっと立たせれば、ほとんどの者は気が失せて、せいぜいが毒づいて消える。
 丸太や刀なんぞを持ち出して挑もうとでもしたらことだ。頬桁を一発張られただけで気を失う。
 八十一、三十三才。十年前と変わらぬ姿形だが、僅かに肉付きがふっくらとして一層優しげになった。
 左門爺の隠居家に上がり込んで、左門が炙ってくれた、小鮎を喰らっている。
 「関白秀吉が天下を上手く治めとるわな。物産の行き来が繁くなってな、人々が珍奇なる物を欲しがるようじゃわ」
 「堺にな、千利休いう、茶の湯の宗匠が居るんじゃよ、茶を粉にして飲むだけの話じゃが、そこに、礼儀を尊び、道具に凝り、場を楽しみ、人と会うを楽しむ。通人の世界を創りよったわ。秀吉がえらい気に入りようでな、皆、習え言うて、大坂じゃ、茶の湯が大はやりさ。無骨な「やそ」等には解らんやろがな」
 「茶を飲むかや」
 諸道具を片隅から引っ張ってきて、茶碗に入れた茶の粉に湯を注ぎ入れ、ささらで泡だてる。
 「苦いがのう、うまいともいえるぞ」
 「「やそ」は、素質があるやも知れんのう、飲みっぷりがなんや、奥ゆかしい風情じゃ」と言って、笑う。
 「「やそ」は、「百利宗佑」云う名を聞いたことはないかや」
 「知らぬぞ」
 「伊賀喰代の郷士、百地丹波様が名乗りを替えられてな、百利宗佑様といわしゃるよ」
 「丹波様かや、知っとるよ。伊賀が落ちた最後の日に喰代の砦で共に酒を酌み交わしたわ。信長がどうしても許せんゆうて、差し違えたるんや言うておったわ」
 「その丹波様がな、此処に荷駄を回してくる元締めなんじゃ。大坂の末吉孫左衛門の珍奇なる荷や近江の商人が扱う荷を集めて、海道を下るんじゃよ」
 「「やそ」に会いたい、言うとったから、今度立ち寄ったら報せるわ」
 百利宗佑。
 伊賀から落ち、石山の一向宗に紛れるにあたって、丹波から宗佑に名乗りを替えた。
 大坂の貿易商人、末吉親子の荷が、千波小僧なる盗賊にたびたび襲われ、難儀するを知り。かつての百地党、五十人を集めて、千波小僧を退治する。
 喜んだ末吉勘兵衛、孫左衛門の親子は陸荷の警固をも頼み込んだ。
 宗佑の豪放磊落な人柄と信頼のおける仕事振りにいたく感激し、荷駄一切の仕切りをまかせるようになった。
 五畿七道の内、東海道を宗佑が受け持ち。評判を聞きつけ、頼みに来た近江の商人の大荷をも、仕切るようになった。
 各所に散らばった、配下の衆は百人とも二百人とも云う。
 (家康が秀吉に臣従する形を取り、東は遠江まで秀吉の権が届くが、駿河、奥州の北条と伊達は未だ秀吉の威が及んでいない。秀吉の天下統一は少し先になる。)
 「「やそ」かや、久しいのう。変わりがのうて、うれしいわい。「やそ」等や長門等が尾張の地で秀吉に一泡ふかした話しは、何度も何度も聞いたぞ。左門爺のように物語れるわ」
 左門からの知らせで、急ぎ駆けつけた「やそ」が。
 「丹波様、今は宗佑様と名乗られるそうで。ご壮健でなによりです。随分と貫禄がおつきで、重々しくおなりの様子、畏れおおい気がいたします」
 「なんの、なんの、怠けが身につき、太っただけじゃよ」
 「天下にご活躍のこと左門爺より聞き及びました。同じ伊賀者としても心強くおもいます」
 「はははっ、大したこともないぞよ、いまだ駆け出しの身、苦労は絶えぬわ」
 「それよりものう。こんたび、関白さんより、鑑札を貰うてな、御免札とも云うて「海道罷り通るをさし許す」と云う札なんじゃが、こ奴を持って、東海道を歩いてみようと思うたんさ、「やそ」も一緒に来んかい。関白さんも「民」を落ち着かそうおもうて、工夫しとるに。海道に出没する野党らもこのところめっきりと減ったが、そんでも、食い詰めた輩はごまんと居る。すきを見つけたら、いつでも襲ってくるわい」
 「隠し宿の塩梅を見て回るいうて、半蔵様の許しを貰いましょうかい。宗佑様に就いて回って、見聞を広めりゃ、左門爺のみやげにもなりましょうし」
 家に帰り。夕餉のあいに、八重に、旅するを告げる。
 五十を過ぎた八重の躯はたっぷりと肉をつけ、逞しいばかりだ。
 色黒の顔を曇らせ、俯く。
 意にそまぬ風情だ。
 並の者らが三か月も旅に出るということになれば、大ごとな時代である。
 水杯をかわし、ひそかにそれぞれが別れを覚悟する。
 飢えて倒れしか、病か、諍いか、それとも盗賊に襲われでもしたか、海道に横たわる人の姿を脳裏に描く。
 お役目で旅するならば、諦めもつこうが、我が好んで旅するという。
 「むくれるでないぞ、八重。伊賀の隠し宿は一日塚じゃわ。左門爺の宿には毎日のように儂の様が入るによって、それを聞きにいけ」
 寝床で背を向ける八重を仰向かせて、掌からあふれる大きな乳房を撫でながら、胸の谷間に唇を這わす。
 僅かに汗の匂いがする。八重の匂いだ。
 掻き抱いてくる八重の両腕に、こころなしいつもよりも力がこもる。
 帯をほどくと、弾力のある馴染んだ躯が広がる。
 女陰の潤いを確かめてから、身を沈めていった、
 「「やそ」よ、きつくしてや」
 と八重。
 平素は淡泊な「やそ」ではあったが、
 「おなごはなんや、もの悲しいわ」
 という八重の気持ちをおもんばかって、力強く抱きしめ、抜き差しを何度も繰り返す。高まっていく八重。
 (いっときでもええ、八重が喜べば。)
 左門の宿を振り出しに、海道を東に向かう。
 宗佑は、たっつけ袴に厚草鞋、深編み笠のいでたち。
 「やそ」は、股引の上に厳重に脚絆を巻き。厚草鞋、菅笠を手にする。
 宗佑と並んで歩くと、お伴する中間にみえるが、腰に差した大刀が異様である。
 「ゆるりと行こかい」
 宗佑が言い、歩きだすが、前に二人、後に一人、つかず離れず、着いてくる人の姿が気になる。宗佑の衛士である。
 「昔のう、大坂の千波の山に巣くう盗賊を退治したんさ、頭は千波小僧と異名を持ち三十人か四十人は居ったかいのう、悪戯ばっかりしおって、末吉勘兵衛の荷は襲うわ、町衆の家を荒らし、婦女を拐かすわで悪童の限りをつくしておった。儂とこの衆に集まってもろうて、根城にしておった千波の砦を取り囲んでのう、寝込みを襲うたんさ。散々に叩いて、十五、六人がとこは引っ捕らえて、役人に渡し。獄門、磔にしたんさ。ところが、頭の千波小僧たらはすばしっこい奴で、取り逃がしてもうたよ、大きな悪さをする力はもうないんじゃが、儂に恨みを持ってのう、どうやら付け狙うとるらしいわ。二度襲われ、二度とも儂とこの者が、うち殺したんじゃが小僧だけは捕まらんよ」
 宗佑ほどの歴戦の士を斃すには余程の力技がいると思われるが、表だって動くうちには必ずや隙ができる。四六時中狙えば機会はあるもの、護衛が必要になってくる。
 千波小僧。しつこい者らしい。
 大垣を越え、一宮を過ぎ、濃尾平野の穀倉地帯、国府宮あたりの田園の中をのんびりと歩いていく。
 草鞋が足に馴染み、久方振りの長歩きで四肢の筋肉がほぐれ、走り出したい衝動を抑え込んでいる。
 あまりにも宗佑の歩みが遅い。荷駄の速さを想定して、その速さにあわせているとおもえる。
 道に生える虎杖を噛み、貰った瓜を喰い、退屈を紛らす。
 宮の宿に着いたのは日暮れる少し前であった。
 宗佑の配下の者に案内され、宿場から外れた、珊瑚樹の生け垣で囲われた大きな百姓家に入った。
 「百利さまには、始めてお会いいたします。知多屋惣左と申します。お番頭の幸若さまには格別のご贔屓を頂き、こうして商いが出来ておりますのも、ひとえに百利さま方のお陰と、一同感謝いたしておりまする」
 「これは、これは、丁寧なる挨拶恐れ入ります。儂が百利宗佑です。知多屋殿のことは、幸若より聞き及んでおります。末吉親子の荷を大きく商っておられるとか、一度会ってみたいとおもうてました。こん度、海道筋を気侭に歩いてみようかと思い立ちましてな、ここなるお人と連れたって此処まで参りましたわ。この人は八十一さんと申して儂の縁戚のもんです。ご厄介をかけ申すが、お気遣い無く。一晩の無心お頼みしますわ」
 海の珍味が仰山に並べたてられ、地の酒ですといって、白酒が大徳利で供された。
 知多屋一同が下がり、宗佑一行と案内の者一人、「やそ」を交えて六人の宴席になった。「やそ」の膳のまえに、宗佑の衛士がすすみ、酌をする。
 「八十一様には、初の見参になります。俊一と申す若輩ものです。お見識りおき下さい。喰代の砦にて、「やそ」様と共に戦いし、孫助なるじじいが儂の父でして、「やそ」様の話は父から何度も聞かされておりまする、服部党には十人の手強い若衆連がおり、その内の一番が、「やそさまと申されると。こうしてお会いできまして、うれしく思います」
 伸びやかに育った四肢を持ち、日焼けした精悍な顔の若者が言う。
 「「やそ」よ」
 と宗佑が
 「この俊一はな、童の頃よりそなたに憧れておってな、そなたと同じ隠し槍を武具といたしておるよ。なんぞ、一手なりと、教授してやってくれい」
 「儂如きが、お恥ずかしいことですが、なんぞにお役にたつならばなんなりとお教え致しましょうよ」「その槍。お持ちならばお見せ願いましょうかい」
 「やそ」の槍と二本並べると、長さはほぼ同じだが、いかにも細く軽い。
 「華奢やねぇ、根元まで打ち物がきてないにみゆるし。儂は、突いてから分けるを本技としてるによって、重き人を振り飛ばすときに折れるごとおもえるわ」
 「儂が祖父さまより習い覚えるとき、じいさまがいつも言っておった、人より早う動かなあかん、早けれゃ早いほどええゆうて、儂とこにはいつも犬がおってな、小さき頃よりこ奴らといつも遊んでおった、野に跳ぶ兎や鼠を一緒になって追っておったわ、そのうちにな、こ奴らに負けんように兎を追えるようになってきたぞ」
 酒が入ったせいか、饒舌に「やそ」が語る。
 宗佑は、敵陣に突き入る、「やそ」の肢体を想いだしていた。
 「俊一さんよ、聞きたいんじゃが、千波小僧たらは、手強いんかいのう」
 「ようは解りませんが、千波小僧は戦わんとおもう。大坂の住処を襲うたときにちらりとみかけましたが、関白さんのごと、痩せて、小さき人やった。下知をするばかりで、そのうち視えんようになったわ、打ち物をとって、先に出て戦う人にはみえん。人の後ろで勘考する人におもゆる」
 「幸若様はじゃから危ないといわれる」
 「人を働かして稼いどる、集どうてくる人の質で強うなったり、弱なったりする。手段を選ばぬ輩ゆえ、鉄砲で狙うてくるやもしれんし」
 「今度ちらとでも姿を見せたら儂が追います。追って息の音を止めてきます」
 「疾るなや俊一、先のことは口に出すでない、飲み込んで腹に溜めとけ」
 と宗佑。
 朝、見送りに出た知多屋に
 「世話になり申したわ、今日は、三河泊まりになりますかい。忘れておりましたが、末吉の孫左衛門殿から、伝言を頼まれておりました。なんや、南海からの荷が入りまして、「伽羅」たらいう香木があるそうな、えらく珍しいもんらしくて、関白さんにみな取られてしまうのも馬鹿らしいから知多屋さんにも回すいうてました」
 「それは有り難い。伽羅ならば値知らずの香木です。欲しいと言われるお方がいくらでもおられますゆえ。よしなにお伝え下さい」
 池鯉鮒あたりか。
 風に舞う土埃が目や口にはいりこんで難儀する。宗佑が目ざとく茶店をみつけて。
 「一息いれるかや」
 「しばらく雨が降りませんので、えらい埃ですな」
 と亭主がいう。
 「お客さんは大坂からですかな」
 「わかるかや」
 「そりゃあもう、身なりがちがいますから」
 「ほう、そんなもんかや」
 「近頃は、京、大坂の旅の商人が多うなりました。ここらのもんは、襤褸を着てますし、東の旅人は柄のはっきりした着物など纏うていませんしな、えらい違いですわ」
 「関白さんのもとには物が集まっとるゆえ、商人が陽の目をみとる、と此処らのもんはいうてますわ」
 「亭主は関白さん贔屓かや」
 「儂らは三河に寄ってますから、三河様に肩入れしてますが、大きな声じゃ言えませんが、三河様はまだまだ東夷の一人ですよ、民の苦労まで気がまわりません。関白さんは、なんというても、野草の出ゆえ、成り上がりもんの嫌らしさはありますが、まあ、愛嬌で、民を虐める限度はよう心得ていますわい」
 「「やそ」よ、この亭主なんや、左門爺のようによう語るのう」
 「左門は儂の兄ですよ」
 「ややっ、驚いたのう、ここは服部党の伊賀宿かい、「やそ」は知っておったんかい」
 「はい、宗佑さまも、知っとるおもうて成り行きをみてましたが」
 「はははぁ、これはいかん、いかん、負けたわ」
 「亭主よ人が悪いぞよ」
 「申しわけなや丹波さま、遊びが過ぎましたかいな」
 出された餅を喰らい、湯で口を漱いで、
 「出かけなとするかい」
 宗佑が言い、店先をみやると、入りかけた旅人が、ふと気を変えて立ち去った。
 (二度目じゃな、こ奴)
 「やそ」が思った。
 風が和いできた。見渡す限り田ばかりの風景がひろがる。
 鳶が長閑に舞う。
 「安城かい。もう一息で岡崎かや」
 と宗佑。
 (岡崎にいけば誰ぞに逢えるか、久しく会ってないゆえ、会いたいもんじゃ)
 と思っていた。
 矢作川を越えた。橋の袂に野良帰りの百姓が欄干にもたれて立っている。
 「やそ」等が通り過ぎようとすると、寄ってきた。
 (千蔵奴かや)
 「やそ」はわかっていた。
 「やそ」にどんとぶつかり、頬かむりをはずすと、小猿の千蔵の笑った顔があった。
 「千蔵、迎えにきたんか」
 「久しいのう、「やそ」、なんも変わらんのう」
 肩や背を叩く。
 「丹波様お久しゅうございます、喰代以来で」
 「おおっ、あの折りの若衆連の一人かや、健吾でなによりじゃ」
 「海道脇の三島屋に世話になるわ。懇意やよって頼んどく、来られる者ら皆来ればええ。積もる話で朝まで語れや、二、三日岡崎に泊まるぞ」
 (儂らとなんも変わりゃせんぞ)俊一は思っていた。
 宗佑に、服部の昔の若衆が幾人か集うゆえ、同席してよう見とけと言われ、片隅で畏まっている。
 鬼をもひさぐといわれる喜一。
 抜きざま一閃、人を二つにするというひさし。
 猿の生まれ変わりという千蔵。
 韋駄天の一之丞。
 そして、「やそ」。
 伊賀で生まれ育った最後の忍者衆として、尾鰭におひれをつけて、化生のように語られ、聞かされてきた、服部の若衆連。
 目前にして、拍子ぬけしたおもいがしている。
 「ほかのもんは達者かい」
 「おおっ、伍平と徳助はのう、小田原に入っとるし、与助と公三は半蔵さまについとるぞ」
 「喜一よ、太ったのう、それで動けるんかい」
 「昔の如くは動けんわい、若いもんをつけて貰うて、そやつらに走ってもろうてるわ」
 「喜一とひさしはのう、若者頭やよって、己で走らんでもええのんじゃわ。儂とか千蔵は一人働きでいまだあちこち走り回っとるよ」と一之丞。
 「こん度、丹波様と駿河の先まで旅しよう思うとるが、北条との仲はええのかい」
 「三河様と北条親子とは今のところ争いはないがのう、関白さんとうまいこといってない言うとったから、戦になるやもしれんわ、戦にでもなりゃあ三河方は秀吉方の先鋒として働かにゃならんやろうと半蔵様が言うとったわ」とひさし。
 「北条が本気で戦にかかりゃあ、長いいくさになろうのう、小田原の城は上杉謙信や武田信玄に攻められてもびくともせんかった強い城やそうな」
 「いまなら、詮議は厳しかろうが、手形さえありゃ相模、下総なりといけるんやろうぞ、伍平に連げて教えてもらおうかい」千蔵が言う。
 「小田原の伍平に話してもらえりゃあ心強かろう、伝えといてくれや」
 「おおっ、直ぐに行かせるわ」と喜一。
 僅かな酒で真っ赤になった千蔵が
 「於丸に逢いたいのう、「やそ」には逢えたし、於丸には永いこと会ってないわい。あ奴の美しい顔が視たいのう」
 「於丸はのう、京の歌舞伎踊りの一座に居ると聞いたぞ、えらい人気やと伊賀宿の爺がいうとった、あちこち興行に出かけるらしいから、ここらに来るやも知れん」
 「そうかや、於丸も踊るんかや、みたいのう」
 「千蔵に聞きたいんじゃが」と「やそ」。
 「千波小僧いう盗賊が丹波様を付け狙うとる気がするんよ、不審な輩を見かけんかったかや」
 思案する間を暫くとってから
 「「やそ」等が来る一刻ほど前にな、十人前後の神楽舞の一座が大八車を引いて通っていったわ、埃にまみれておってな、おなごが三人ほど交じっておったよ、胡乱な連中におもえてのう、あれは神楽舞をする輩ではないのう。目つきもなんや暗うて、鼬のごとやった」
 「捜さしてみようか」ひさしが言う。
 千波小僧。
 千蔵が察したとおり、神楽舞一座を騙った盗賊千波小僧一味は、海へ抜ける蒲郡海道と交わる海道脇の空き小屋を百姓から借り受け、一夜の宿にしていた。
 百利宗佑こと元伊賀の郷士百地丹波に根城を襲われ、命からがら逃げだした千波小僧と情婦「こまき」その妹「さと」の三人は、淀の川原に巣くう乞食の中に紛れて過ごしていた。
 物乞い、物拾い、盗人、女は、老いも若きも筵一枚持って身を売る。縄張りができ、力ある者が取り仕切る。
 千波小僧は「三次」と名乗りを替え、「こまき」と「さと」の身を売って稼いでくる小銭で命をつないでいる。
 「しゃくじゃないかい、やっちまいなよ」
 あがりの半分がとこ、頭なる漢に召し上げられ「こまき」と「さと」がけしかける。
 千波小僧。削げた頬、睨めるように人を視る癖、悪相である。
 とうから、人に好かれることを拒否した顔つき。
 自然、寄る者は少ない、しかし寄ってくる者もいる。同類が集まる。育ってきたどこかで、優しさという精神を隠した者らが、一人、二人と集まる。
 「あたいが今晩、この小屋へ誘うてみるから、隙をみてやっちまいなよ」「こまき」が言う。年は二十五、六、痩せぎすで色黒ながら肌理の細かい、女らしい肌艶。笑うと左頬に片えくぼができ、優しげにみえるが、目付きが険しい。
 「頭ぁ、今晩身体がつらくって、商売にでれんかったんよ、頭に上げる銭がないさかいに、かわりにあたいの身体抱いてんかぁ、三次の奴は今晩おらんさかい小屋へきてんか」いいおいて、小屋で待つうち、漢があらわれ。
 素裸で睦み合い、奮が極まったところで、忍んできた三次が漢の「盆の窪」を刺し貫きあの世へ送った。
 「遅かったやないか」となじったあと
 「あいつ、上手にしてくれて、もっとようなる、おもとったところやったわ」と平気で言う。殺ったあと、手下になっている主だった者らを呼び集め。
 「頭は、儂が殺った、きょうから、儂が頭や、気にいらんもんは今すぐにものを言え、出ていきたいもんは勝手にでてけ」と啖呵をきった。
 でていくもんは一人も居らず、面と向かって刃向かって来るもんも居らず、そのまま居座り、乞食の頭を接いだ。
 頭になったものの、二十人足らずの乞食の稼ぎなどしれたもので「こまき」や「さと」や女達の稼ぎが主な収入だった。
 「しっかりしてんか、あたい等の身体、壊れてしまうやないの」
 「こまき」が不満を告げる。
 盗人稼ぎしようにも、前からいたもの等ではせいぜい物運びか、見張り程度にしか使えない。
 もともとが吹き溜まりに吹き寄せられた、精のない連中である。
 「役立ちそうなんを連れてこいや」
 ふてくされて、稼ぎに出ないという「こまき」を殴りつけ、刃向かって来るところを散々に打ち据え、素裸に剥いて、顔といわず、腹といわず、青痣がでるまで、殴り蹴りし、さすが強情なおなごも(殺されるやもしれぬ)と、おとなしくしたところを犯すように交わり。慰めのように言った言葉である。
 「おまえのなじみの客で骨のあるもんを連れてこい」
 喰いぱっくれて、ねぐらもない輩は、捜せばいくらでもいた。
 その中から、とりあえず、身体の強そうな者を選んでは躯を与え、口説いては、三次のもとえ連れて来る。頭の働きの弱い「さと」が「こまき」のいいなりに、躯をひらく。
 なんとか、五人を選んだ。
 飯を食わせ、おなごも抱かせ、乞食達から召し上げた小銭も与えた。いっぱしのやくざもんになるにさほどの刻はいらなかった。銭の足りないときは、盗人をさせた。空き盗人から始め、押し込み強盗まで、ひと通りの手順を教えていった。
「あんたのこと。みなが千波小僧やいうとるよ」こまきがいう。
 「大坂で百利宗佑に退治され。命からがら、おのれだけ逃げたもんや、そのうちまた宗佑たらに根こそぎ退治されるいうて。百利宗佑殺らにゃ、あんたにだれもついてこうへんよ」「こまき」にいわれた。
 いわれるまでもなく、密かに、二度狙わせたが、二度ともあっけなく撲ちのめされている。
 「柴田なんたらの鉄砲足軽してたゆう男がいるんよ。負け戦やおもうて鉄砲かついで逃げてきてん、いまも鉄砲持ってるらしいで、呼んでこうか」
 「こまき」なりに三次を気遣っているらしい。
 「鉄砲、上手いんか」と三次。
 「二十間ほどの間なら結構当たる」と男がいう。
 海道を二人連れでゆっくりと歩く宗佑を視て(これなら、いつでも撃てるわ)と思えた。 ところが、二十間離れた前後にはいつも人がいて、左右に目を走らせている。傍によると、胡乱な目で睨まれる。隙がない。
 「儂はもう帰るわ」
 岡崎まで追ってきて、百姓に借りた小屋で、寝ころんだまま男がいう。
 「鉄砲撃てんわ。傍に付いてる男ら、並の者やないで。足の運び、目の配り、躯からなんや力が溢れとるよう思える。戦場でもあないな衆には近づかんようしとったわ、無理に鉄砲撃ったら、追われて斬り殺されるで」
 「根性ない男やな、やってみなわからんやないの」「こまき」が言う。
 「おまえには解らんのや、股開いて、目つぶっとりゃあ、銭貰える。そんなもんに男の強い弱いが解るかい」
 「なんや、その言いぐさ、その股に顔埋めて、おいおい泣いとったくせに」
 「やめんかい」と三次。
 「一遍も鉄砲撃たんと、気弱なこというな。ここまできたんじゃ、のるかそるか、一遍撃ってみろや」
 小屋が取り囲まれていた。
 喜一、ひさしが手配した捕手方十人余り、尺棒、さす叉、梯子など召し取りに使う諸道具を構えてものものしい。
 「母屋の「甚助」ですがの、麦焦がしを作ってきましたわ、食べんかや」
 と表戸をどんどん叩く。
 戸が開かれると、龕灯を手にした捕手を先にしてなだれこむ。
 「三河徳川家捕手方である。不審によって、あらためる、神妙にいたせ」
 「「やそ」」と千蔵が、畦の草むらに潜んで、小屋から逃げ出してくるに備えていた。
 案の定、竹囲いを蹴破って、飛び出してくるものがいる。暗闇を一目散に逃げる。後に続く者二人。
 音もなく「「やそ」」と千蔵が追う。
 そのとき、草むらから身を起こした黒い塊が、逃げる男に追いつき、追い越しざま月明かりに刀を煌めかせて、男を突いた。
 刃先が背を抜けて光る。
 俊一であった。
 「そのほう、千波小僧か」
 刀を拭って腰に収め、血反吐を吐きつつ喚くばかりの男に言う。
 千蔵がひと縄にした女を伴って脇に来て言う。
 「死ぬるんかい」
 「死ぬやろ」と「やそ」。
 「こ奴は千波小僧かい」
 千蔵が女に問う。
 ふてくされて横を向く女に向かって。
 「神妙に有り態を申さば、此処よりめし放つが、怪しとおもわば、番所にひきづり、牢屋に入れ、女といえども厳しい詮議をする」
 「そちゃ耐えてみせるか。素裸に剥いて竹で叩くぞよ」
 「も一度聞く、こ奴は千波小僧かや」
 「いまは、三次というとる」
 「前は」
 「千波小僧いうとった」
 「盗賊かや」
 「大勢の子分がおって、盗人の頭やった」
 全員捕らえたがさしたる罪状がなく召し放ち。鉄砲を持った男だけが厳しい詮議が伊賀番所で取り行われたが、鉄砲は取り上げ、これも放たれた。
 「疾りすぎじゃのうそなたは、千波小僧たらから面白い話が聞けたものを」
 俊一が宗佑から叱責を受けている。
 「「やそ」等が繕うてくれたによって面倒にならなんだが、迂闊に人を殺めるでないぞ」
 「ししのように速い仕草やったのう、止める間もなかったわ」
 「「やそ」」が笑って言う。
 岡崎に三日滞在して、浜松に向かう。
 豊橋を過ぎ、白須賀のあたりで雨風が強くなった。海からまともに吹いてくる風で歩くのもおぼつかな。
 「こりゃたまらぬ、新居の宿に早足で行こうかい」
 ずぶ濡れで飛び込んだ大きな旅籠はごった返していた。「「やそ」」を含めた五人連れは大部屋になんとか隙間を確保し、油紙で包んであった着物と着替えて一息ついた。
 気のきいた旅籠らしく、賃をはずんで酒、肴を注文すると、飯部屋に案内された。
 大きな部屋に茣蓙が敷かれ。馬子達が大声でさんざめく、商人、家族連れが、ちんまりと喰う。さすがに海辺のことゆえ、炙った烏賊。煮付けた鰈。わかめの汁。が渡され、どの顔も和らいでみえる。
 酒好きの宗佑は大徳利の濁り酒を引きつけ、飲め飲めと注いでまわる。
 冷えた躯に酒がまわり、腹減りが満たされ、火照ってくる。赤い顔の宗佑が居ずまいを乱し、柱に背を保たせてくつろぐ。
 伴の三人も酒が回り、戯れ合い、遠慮なく笑う。
 (目立つよのう)「「やそ」」は先程から馬子達が送ってくる目線が気になっていた。
 宗佑。形は商人にみせてはいるが、大様である。見方によっては、傲慢に見えかねない。
 伴の俊一、洋之助、兼重の三人も商人にしては肩が張り過ぎている(態度が大きい)。
 「酒が少のうになってなあ、まわしてはくれぬかい」
 はたして、十四、五人程の馬子の集から三人が宗佑の前へ座り込み言う。
 はや俊一が気色ばみ、もの言おうとするを、宗佑がやんわりと機先を制し。
 「酒かや、躯が冷えたであろうのう。俊一、亭主にいいつけて、酒をたんと持ってこさせよ」
 「これは、物分かりのいい旦那さんじゃ」
 「馬方どのかや、嵐はあすまで続きそうじゃな、今宵はゆるりと過ごせばええ、皆さんを呼んで、一緒に飲もうぞ」
 酒が運ばれ、二十人が車座になって宴が始まった。
 「儂は百利宗佑いいますのや。大坂の末吉方の荷駄を扱うとるゆえ、馬方どのとは同業じゃよ」
 「おお、おお、名は聞いとる。さっきから、商人にしては様子が違うおもうて、首を傾げておったが、旦那さんがあの百利さんかや、なんでも大坂の大盗賊を退治したゆうて評判が聞こえてますなあ、合点がいきましたわ」と馬子の一人。
 「皆さんは何処の荷を運んでおられるんかや」
 「儂らは、近江の荷ですよ」
 「畳表を小田原まで運びますわ」
 「ほう、小田原ですか、北条さまの所はどんなもんですかな」
 「旅の人はなあ、詮議がきびしゅて難儀してますが、儂らは帰り荷をもろうてきますからな、おとがめなしで気侭ですよ」
 「旦那さんよ」酒が入り、呂律が怪しくなった馬子の一人が言う。
 「脇の衆が盗賊を退治した人達かいのう、どの人も強そうで、儂らと力くらべしてくれんかのう」
 「力くらべとな、腕くらべかや。困ったのう、馬方どののように日頃、力仕事なんぞしてませんからな勝てませんわ」
 「こいつは「弥五」いうて儂らのうちじゃ一番の力もちだで、一遍、強い衆と力くらべさしてやりたいおもうて、其処の小さい人と、始めに一番頼めませんか」
 「「やそ」」を指して言う。
 笑って首を振る「「やそ」」
 俄然、興趣をしめした宗佑が
 「「やそ」さんよ、ここはひとつ受けてやってくれませんかね」
 ひときわ大きな男が隆々たる筋肉を晒して、腹這いになる。
 請われた「「やそ」」が苦笑いして男に対して座り、袖を捲り上げると、どよめきが起きた。
 身体と不釣り合いな太すぎる腕、鍛え上げられた筋肉、掌を握り合い、比べてみると「「やそ」」の腕がひとまわりほど太い。
 構えに入り、僅かに力をいれて利いてみる、男がはや力を込めてきた。
 「発止」
 と掛け声がかかり、男が満身の力をいれてくるのが解った。
 (喜一の半分やね)「「やそ」」にはおもえた。
 しばらく力を利いてから、ゆるりと捻り倒した。
 あきらかな力の差が誰の目にも明らかだった。
 全力を出すにもいたらない圧倒的な差が感じとれた。声も出ない。
 「なんと」
 やっと出た声。
 宗佑が笑っている。
 いちばん驚いているのは、俊一かもしれない。
 羞じらっているような笑みを浮かべて、こそこそともとの席に引き返す「「やそ」を目の隅でとらえて。(伊賀若衆連の片鱗を始めて見た)と思った。
 「はっはっはぁ、度肝を抜かれたようやねぇ」と宗佑。
 「さぁさぁ、酒でも喰らうてくだされや。このお人はなあ、名も身分も明かすわけにはいけませんが、さる大将の隠し槍といわるるお人で、誰も歯がたたんのよ。世にこんな人も居るかおもうて胸の片隅にでもしまっといてくだされ」
 「これ、これ。俊一、洋之助、馬方衆に酒を注いでまわれや」
 宗佑が如才なくいい、商人を演じる。
 明けて、昼すぎて風が収まり、ゆらり浜松へ向かった。
 浜松へは一足。やすみなしで着き、
 呉服商い「恵比寿屋」に逗留すると言う宗佑とわかれ、半蔵屋敷へ伺候する。
 「小僧、ようきた、ようきた。久しいのう」
 「だれぞ、すすぎ水をもて」
 半蔵自ら、迎えにい出て、大声で喚く。
 小女がたらいを持って来、与一が水を運んできた。脇に公三。
 「与一よ、座敷に膳のまわしをせい、「八十一を見知るもの等みな呼べ、「あたる」殿と「長門」にも告げてこい」
 「やそ」の登場が余程うれしいらしい、矢継ぎ早に命を与えて、挨拶する間もなく、ばたばたと引っ込んだ。
 「やそ」、与一、公三、三人で顔を見合わせ、大笑い。
 「半蔵様は大忙がしじゃぞ」
 「この勢いなら自分で賄い方に出張って、包丁でも握るやもしれんわ」
 「儂らはあちこち知らせに回るよってに「やそ」は奥で休んどいてくれや」
 父「あたる」が十六になる腹違いの弟「百介」と与力二人を伴い訪ろうてきた。
 「あたる」は家康の元では、いまや半蔵と同格の堂々たる旗本である。三河軍の先鋒として、軍中の篤い信頼をうけている。槍一筋。陰日向のない朴訥な性格が家康にも愛され、旗本連の中間に位置する待遇を得ている。
 「ご無沙汰致しておりました。父さまもお達者そうでなによりです」
 「そこもともかわりのうてよきことじゃのう、ここな、百介が此度元服いたしてのう、そなたに会わしておこうと思うて伴うて来たわ」
 剃りあがったばかりの額、すずやかな目元の少年が丁重に深い辞儀をして「兄さまにはお初にお目にかかります、百介です。よろしく見知りおき願います。兄さまのお噂は、父からも周りからも、色々と聞き及んでおりますれば、此度お会いできてうれしくおもいます」
 「おお、そなたが百介かや、聞いてはおったが、大きゅうになって。父にも儂にも似ず背丈が高いわ」
 「百介はのう、家康殿のお小姓方に参上して、そなたに似て早い槍を使うゆうんで、殿にことのほか愛でてもろうておるわい」
 おそがけに成した子は殊の外可愛いらしい「あたる」が目を細めて、百介の肩を抱きながら言う。
 ひさしぶりにみる父の顔は皺が増え、年の重なりを感じさせた。おもえば小さき頃より、父の温もりを殆ど知らずに育った我が身を、ふと思い知らされた。
 「長門殿が見えもうしたわ」
 公三が告げる。
 「半蔵様が車酒するによって広間に集え、言うとる」
 与一が接待方を仰せつかったらしく甲斐がいしくたちはたらく。
 大広間に三十余名の人々が集まっている。見知った顔、懐かしい顔。ざわざわと言葉を交わしながら、おおきな車座に座り込む。伊賀流儀の宴席である。上座、下座の区別をなくし、皆同格の席である。空いた真ん中に酒、肴を山と並べ、公三、与一、半蔵の与力達が接待する。
 「皆、よう集うてくれたのう、久し振りに八十一が顔をみせたによって、伊賀の昔話でもしようかおもうて、お越しねごうたのよ。酒、肴もたんと用意したによって、今宵は存分に車酒で過ごしてくれや」
 半蔵は酒豪である。いくらでも飲む。すすめ上手でもあるので相手をしているとついつい飲み過ぎる。酒の弱い者らは逃げて回る。
 家康のもとに勘助というこれまた大酒飲みの朋輩がいて、意気投合して一晩飲み明かし、勘助は急性の酒中毒で死んでしまった。家康にこっぴどく叱られ、自分も反省して少しは慎んではいるが、それでもよく飲む。
 藤林長門が「やそ」の隣に席を占めた。長門は大林長門と名乗りを変え「あたる」の組で働いている。
 「久しいのう「八十一」よ健吾かや」
 親しみに満ちた声色で穏やかに問う。
 「はい、長門さまもお達者そうで。武人のお暮らしは馴染みましたかや」
 「以来、戦らしい戦ものうて、儂や「あたる」殿は忍び働きをする半蔵殿と違うて、戦がのうては、する事がなにもないわい、ひねもす昼寝ばかり」
 ぐびりと注がれた酒を乾し、里芋を突き刺して頬張る。
 「鈴鹿の山で山賊暮らししとった頃がなつかしいのう。伊賀を追われたばかりで皆猛々しかったによって、近辺の山賊を見つけてきては戦をしかけ、輩の蓄財を片っ端からかっぱらったわ、山窩の衆や山仕事の衆とは仲良うしてのう。暮らし向きに困ることものうて気侭じゃった。まあ、いつまでも続くもんでもなかったがな」
 「そう言えば、丹波殿と一緒の道中やと聞きしが、丹波殿はいかがかや」
 「やそ」は注がれるままに、ちびりちびりと飲んできた酒がまわり、体中火照ってきた。
 「丹波さまは今、百利宗佑さまと名乗られまして、荷駄商いの頭領をなさっておいでです」
 「あの武骨な丹波殿が商人かや、面白いのう」
 白髪頭の老人がどっかと「やそ」達の前に座り
 「こりゃ「やそ」健吾か」
 悪戯っぽい目で、にやりと笑った顔は甚兵衛であった。
 「これは、これは甚兵衛さま、見違えましたわ」
 「甚兵衛ももういけぬよ。歯を無くしてからのう、めっきり意気地がのうなって、隠居じゃよ」
 「なにをいわしゃるかや。その足腰ならまだまだひと山もふた山も走って越えられましょうよ」
 「まあのう、半蔵様のお召しがあれば、わが命、いつでも差し上げもしましょうがのう、日頃の働きはちと億劫じゃよ」
 皆、にこやかに笑って、つぎつぎに酒を注ぎにやってくる。
 「こりゃ、たまらん。酔うてきたわい」と「やそ」。
 長門が笑う。
 多くは伊賀で育った者らである。故郷、伊賀の香りを濃く漂わせる「やそ」にひかれて、昔話がひとしきりつづいた。
 「八十一よ、此処へ来い」
 半蔵が呼ぶ。
 ふらつく足で、半蔵の前に座り、酒を注ごうと目を遣ると、見知らぬ少年が半蔵の脇に控えていた。
 「八十一よ、この小僧の面倒をみてやってくれぬか。弥一というて、十六になる。そなた等のように手厚うには教えてないが、ひととおりは教え込まれておるぞ」
 異様な顔である。肉厚の鼻が押し潰されたようにくっつき、目も口も大きい。平家蟹を思わせる。極端な縮れ毛。胸板厚く頑丈そうな体つき。
 「こ奴は捨て子じゃよ。赤子の時に奥のもんが拾うてきてのう、不憫に思うて、乳母をあてごうて育てさせてきたが、童の頃より無愛想な奴で、滅多に口をきかん。泣きもせん、痴呆かとも思うたが、人が言う事は、よう解するんじゃ」
 「こりゃ弥一。八十一に挨拶せい」
 「やそ」を睨むように目を合わせてからぺこりと辞儀をする。
 「足も速いし、力も強い。左門のとこで飛脚でもさせたらよかろうと思えてのう」
 痴呆などではない、と思った。目の光が強い。
 「やそ」は少年に寄っていくと、いきなり手を握った、力だめしだ。弥一が強く握りかえしてくる。恐ろしい握力だ。並のものなら思わず悲鳴を挙げているだろう。筋肉を硬直させて耐える。頃合いをみてから一瞬に全力を込めて握りかえした。
 「うっつ」弥一が低く呻いた。再度力を入れ直して握り返そうと力んでみるのだが、どういうわけか一向に力が込められない。万力で絞められるようにますます力がこもってくる、見る間に指が白くなってきた。
 ふっと「やそ」の手が離れた。
 「はっはっ、どうじゃ弥一たまげたかや。「八十一」の術じゃよ」と半蔵。
 「えらい力やのう、弥一は。鍛錬すれば、儂をしのぐ者になろうぞ」
 「儂について来るかや」と「やそ」が問うと。
 弥一は即座にこっくりとうなづきながら。
 (あれは、人の力ではないぞ。なんやしれん化け者につかまれたようやったぞ。、優しげな目をして、小さな躯の人やから油断したのが間違いやったわ)
 「弥一よ、そなたはなんの武具を習われたんかや」
 「金棒です」といってから、尻のうしろに置いてあった、鉄でしつらえた三尺あまりの八角の棒をみせた。
 「やそ」が持ってみると、ずっしりと重量が感じられた。
 「重いもんじゃなあ、こんなもんを振り回すんかい」
 「こ奴は刀よりこんなのがええゆうんで儂が鍛冶打ちに造らせたんじゃ、毎日、立木相手に振り回しよるわい」と半蔵が笑いながら言う。
 「儂らは二、三日したら去ぬるによって、仕度しておけよ。大きなもんは、落ち着いたら送ってもらえばええし、手まわりのもんだけにして身軽に拵えてくるがええ」
 半蔵にむかって。
 「近頃まれに見る若衆ですよ」
 「そう思うかや、手元に置いておこうともおもったんじゃがのう、こ奴の素質を考えたら「やそ」に預けるんが一番ええ思ってのう」
 「弥一よ、「八十一」の手足になって働け。伊賀のもんはひとつじゃで、そなたの働きは手に取るようにわかるゆえ、陰日向のう精だせや」
 父「あたる」と弟が帰り、長門も帰った。すっかり酔いのまわった躯を休めていると、与一と公三、弥一の三人が寄ってきた。
 「伊賀の手練れが酔うてしもうて様はないのう」と与一が笑う。
 「いかん、いかん。つい飲み過ぎたようじゃわ」
 「小田原へ向かうんやったら、手形はあるんかい」と公三。
 「丹波さまが北条の虎の御朱印状を貰うとる」
 「それやったら造作ないが、箱根の山に煩いもんが居る言うて伍平が報せてきとる。なんでも「足柄山の鬼太郎」たらいうて、鬼と金太郎と交ぜたような名乗りの山賊が、旅人から通行税を巻き上げるらしいわ」
 「伍平がいうには、風魔党の流れのもんで、北条の役人も知らん振りしとるらしいぞ」
 「大勢おるんかい」
 「確かなことはわからんが、二、三十人もみとけばよかろう」
 「弥一は、戦場に出たことがあるんかや」と「やそ」が聞く。
 「はい、一度」
 「昨年の暮れ、上杉勢との小競り合いがあっての、そのときが弥一の初陣やった」
 「金棒振り回して、猛り狂いおったぞ、引きの合図も気付かんと敵陣に切り込みおって、儂と喜一が引っ張ってきたんよ。甚兵衛さまにえらく叱られたさ」と公三。
 正座して神妙に項垂れている弥一だが、躯のまわりから覇気が陽炎のようにただよっている。
 捨て子と聞いたが、余程手厚く養育されたのだろう、無口ではあるが、受け答えが素直で、好感がもてた。
 「ねじくれ者は忍びには向かん」爺さまが口癖のように言っていたのを思い出した。
 宗佑一行と落ちあい、総勢六人で旅をつづける。
 弥一をひと目みて宗佑は「よき若衆じゃ、さすが半蔵どの人をみる目が高いことよ」
 清水をすぎると海岸沿いをのどかに歩く。右に駿河湾、左に富士の山。磯風に頬をなぶられ、しきりに喉がかわく。由比のあたり、すだれで囲われた小屋で氷を売る店があった。宗佑が気をきかせ、「亭主、氷水をもらおうか」
 ほのかに甘い冷えた水が喉を潤す。
 はるばる、富士の裾野から、冬に切り出し貯蔵して置いたものを藁で包んで運んで来たという。
 「箱根山に山賊がでると聞くが、ほんとの話かや」と宗佑が亭主に聞く。
 「へい、近頃とみに手荒くなったそうで、旅の人は何人もが寄り集まっては山越えをするそうです。北条様のお力が弱くなったせいだと言う者もおります。風魔党の下働きの荒くれが何人か交じって居るともきいてますし首領は「足柄山の鬼太郎」と名乗っています。みなさんも箱根越えをなさるんでしたら幾人かで、過分の銭を包んで越えられるとええでしょう。殺されはせんでしょうから」
 「やそ」は、俊一がにやりと笑い。弥一の目が鋭くなったのを見逃さなかった。
 「そうかや、困ったもんじゃ。山越えは夜はやめて朝早うにしようかいのう」と宗佑がのんびり言う。
 いつの間にか弥一が気をきかせて、手桶に水を汲んで持ち込んできた。
 汗を拭うと、涼風がことのほか感じられた。
 俊一が弥一と馬が合ったようでさかんに言葉をかけている。
 「弥一よ、ぬしのいちばん嫌いなもんはなんじゃ」
 「顔が嫌いです。平家蟹いうて、ようけからかわれるました、みなの目がすぐに顔にくるのがよう解ってそれがつらいです」
 「いまもかや」
 「躯がおおきゅうになってからは、みな遠慮するようになって、そんでもときどき」
 「貌なぞなんじゃ、おまえには金剛力があろう、男はそいつが貴いんじゃ」
 宗佑が笑う。
 「俊一が説教垂れるぞ、いつも儂らに叱られてばかりで。弥一に意趣返しかや」
 「好きなもんは」
 「ぼた餅です」
 「易いことよ、今度儂が腹一杯喰らわしてやるわ」
 沼津のあたり、人通りが繁くなってきた。
 海産物商い「右左衛門」と看板を掲げてある大間口の店内へ宗佑がずかずかと入っていき「亭主はおるかや、大坂から百利宗佑が訪ねてきたと言うてくれ」と立働く者へ告げる。
 奥から急ぎ足で人があらわれ。
「これはこれは、百利様。まちかねておりましたぞ」
 手を取らんばかりに親しげに近づき。
 「どうぞどうぞ、お上がり下さい」
 「共の人数がおるよって、雑作をかけますが、よしなに願いますわ」
 「なんのなんの、おやすいことです。大坂では、百利様には格別お世話になりまして、今日の私どもの商いがありますのもひとえに百利様のお陰だと思うておりますから、なんなりとご用を仰せつけくだされ」
 手厚い饗応を受けて。
 「そうそう、末吉殿より預かり物がありますわ」
 箱荷の中から、知多屋に手渡したものと同じ、桐の箱を取り出し。
 「南海からの荷物ですよ。関白さまが末吉殿にねだりましてな、えらく苦労して集めたもののようですわ。儂は不調法でよくは解りませんが、「沈香木」の内の上物で「伽羅」たらいう匂い木らしいですわ」
 「なんと「伽羅」ですと。これはまた、そらおそろしいものをお持ちで、「伽羅」は宝のなかの一等の宝物ですよ」
 桐箱の中から、袱紗にくるまれた一握りほどの黒い木片を、おそるおそる取り出した。
 小柄で爪垢ほどの片をきりとった。香炉を持ってこさせ、そうっと、熾きた炭火に灰を掛け、その上に置く。 みな、顔を香炉に寄せて鼻を突き出した。
 ほんのりと、優しい香気が漂った。
 「よき匂いじゃのう、貴人のかぐわいと申すものかや」と宗佑が。
 「なんともはや、気品のある、香りですなあ」
 掌をまるめ煙をすくう所作をして、一息吸い込んでから右左衛門がいう。
 「東大寺の宝物殿に蘭奢待(らんじゃたい)と銘のある「伽羅」の香木があるそうです。なんでも織田様が削り取って試されたとの風聞を聞きましたがな、あれもこんなかおりでしょうか」
 (くちなしの強い香が好きな八重に嗅がしたらばなんというやろか)と「やそ」はふと思った。
 夜が明け切らぬうちの出立である。
 宗佑はゆったりと歩く。両脇の濃い緑を渡ってくる風が、幾分湿っぽく感じられ、雨が近いことを思わせる。
 前方に人影が見える。三人ほどが一行をまつように立ち止まっている。近づくと与一達だった。公三と伍平もいる。
 「丹波様、お久しゅう御座ります。服部の与一と申します。半蔵様の命を受けまして参上いたしましたわ。箱根に胡乱な者共が集うておると此の「伍平」が申しましてな、それだけならなんとでもなりましょうが、風魔党の衆が紛れているらしゅうて、半蔵様が見て来いと申されて」
 「それは、ご苦労なことです。話には聞いておりますが、何とでもなるか思うて歩いております」
 伍平が「やそ」の傍にきて、肩をひとつ叩いて笑いかける。旅袴に厚草鞋をはいて、鎖帷子を着込んでいた。
 「厳重やのう、伍平よ。手強いんかい」
 「なんの、数が多いんじゃ、「やそ」や此の弥一奴に怪我でもさせたらいかんおもうて半蔵様の親心やわ」と巫山戯て言う。
 「歳は喰っても変わらんのう、伍平は」
 「やそとて、ちいっとも背が伸びんのう」
 「一足先に参りますゆえ、ゆるりとお越し下さい」と宗佑に言い残し、木の陰へ三人は、走りこんでいった。
 箱根の登り口に関所が設けられてあり、宗佑が「北条」の虎の絵の描かれた御朱印状を差し出すと、あっさりと通された。
 ゆるやかな登りにはいってしばらく行くと社がみえた、そこの広場に人が群れている。一行が通りすがると、ばらばらと人が寄ってきた。
 「もしもし、ご一行さま、いかがなもんでしょう、一緒に山越えをいたしませんか。此の先、質の悪い山賊が通行税を盗るといいましてな、みなさんでおし通ればこころ強いと思いまして、今集まっておるところです」
 「そうかや、儂らはかまわんが、みなさんの後ろにでもついていきましょうかな」
 「はい、はい、お願い致します。それにしても、ただで通るのでは、山賊もおだやかにはまいりますまいと思いましてな、何某かの金銭を集めておりますゆえ、勘考くだされ」
 三十人程も連れだって、騒々しく山を登っていく。
 いつの間にか、宗佑の周りを囲む人数が増えていた。服装は百姓や町人だが、腰には使い込まれた刀を帯び、足の運び、目のくばりが並ではない。宗佑が手配した助っ人と察しられる。五人。
 (流石は丹波様抜かりはないものよ)と「やそ」
 山中に僅かに開かれた場所があった。粗末な小屋が掛けられてあり、その前に十五人ほどが居並ぶ。一団を見届けると道を塞いで。一人が言う。
 「よう来てくれたのう、待ちかねたぞ。今朝は誰も来んので退屈しておった」
 総代に選ばれた初老の商人が、慇懃に頭を下げ。
 「みなの銭を集めました、お受け取り下され」とふるえる手で差し出す。
 「ほう、手回しのよいことよ」といいつつ下がっていき、小屋の前の木株に腰を据えている大柄な男に手拭いで包まれた銭を手渡した。
 男はむっくり立ち上がり、向かって来る。大きい。六尺はゆうに越え、大童の頭をゆらし、棒を手に、のっしと立ちはだかる。
 「この銭はなんだやあ、おれらは物乞いではないぞ。高を決めるのは、我が決める。この人数でこの銭では承知できんのう」大声で喚き、ひとわたり一団を目利きしていく。
 「そこなお人、よき衣服を纏うておいでで、西の都から参られたか」
 ぼんやりと、ふくろ手をして雲を追っている宗佑をみつけて呼ぶ。
 気づいた宗佑が
 「儂かや」といい、ゆっくりと前に出た。伴の衆も何げなく従う。弥一も前へ出ようとするのを「やそ」が止めて。
 「いいかや、ただではすまんぞ、覚悟しておけよ。事がおきたら、一っ処に止まるでない、犬っころのように動き回れ。一つ叩いたら捨てておけ。つぎに向かえ、木の上にも陰にも伏せる者が居るし」
 耳に口を寄せて囁いた。
 「よき仕立ての着物よ。京のものか」
 「儂は大坂の商人ですわ、荷駄商いを始めましてな。海道筋を見聞してますのよ」
 「ほう、珍なる商いよのう。ところで、戦が始まるのを存知おろう。おれらは支度金が足り申さぬのでなあ、集めておるのよ。その方富んでいるにみゆるが手持ちの有り金を置いていってくれぬか」
 「さきほど、物乞いではないと申されたな。はなしが合わぬのう、大坂では、訳の解らぬ金子は一切払わぬのが商人の道理でしてな。断ります」
 大男の顔色が変わった。
 「いい気になるな、商人風情が、つけあがりおって。おれを誰と知る。その名も知られた足柄山の鬼太郎ぞ、命ばかりは助けてやろうと思うたが、その高鼻のものいい容赦はならん、ぶちのめしてやるからそこになおれ」怒声が鳴り響いた。
 腕組んで悠然と立つ宗佑。
 「やそ」はいよいよ始まりかなと思った。
 「やい、鬼太郎。大きな啖呵をきりおって、うぬらのような腐れ冬瓜が海道を塞ぐは、迷惑千万、蹴転がすゆえ向かってこいや」
 鬼太郎。太丸太を振り上げて
 「この野郎奴っ」
 叫ぶと同時に、踏み込んで来た。
 宗佑。その懐に飛び込みざま、いつ抜いたのか太目の直刀を鬼太郎の股にあてがい、脳天に向けて斬り上げた。
 鮮血が吹き上がる。鬼太郎。丸太を上げたまま、腹を割かれて、二歩、三歩、五歩と歩き、座り込む。われの裂けた腹を見、腸をいじくり、呆然自失の態。
 いち早く、一味の人垣に俊介が斬り込む。僅かに遅れて宗佑の衛士が抜刀し、気後れて突っ立つ山賊にむかう。
 弥一。鉄棒抱えて見守るばかり。
 やっと、数で勝る山賊たちが、鬨の声上げて、宗佑一行を囲みにきた。
 「背後を守れ」下知がとび弥一も動いた。
 回り込もうとする端の一人を薙ぎ飛ばし、次の一人に立ち向かう。
 「やそ」は弥一を護っていた。弥一の動きにぴったり合わせ、まわりに気を配し、流れを読んでいた。
 森のなかからも悲鳴が上がった。与一達が動いている。矢が二、三本射掛けられてきたが、それも途絶えた。
 宗佑の衛士は手練れの武者共であった。動き振りがまるで違う。
 一太刀浴びせては次に向かう。脛を割り、腹を突き、喉を裂く。常に動き、隙を見つけては斬り込む。旺盛な闘争心が気迫となって突き刺さる。
 日頃、恫喝と数を頼んでの弱者いじめで過ごしてきた山賊共では刃が立たない。逃げ惑うばかり。そして逃げ出した。
 四半刻の闘争であった。
 公三が大柄な躯の男を担いで、樹々の間から出てきた。
 宗佑の前に横たえると、俊介であった。喉に穴が開き、息切れていた」
 「矢は抜いといたがのう。樹の上から撃ちよった」
 宗佑は憮然とした顔でしばし俊介を瞠り、かっと見開いた目を閉じさせた。酒の入った瓢を貰い、若者の口に含ませる。晒しにも酒を浸し、丁寧に顔の血を拭った。
 「深追いしおって」とぽつりと呟く。
 弥一が声を殺して嗚咽している。
 帰るという与一達三人を引き留めて、宗佑が晩餐を開いた。
 深浅があるにせよ、いづれも伊賀に繋がる者ら十三人である。名残を惜しんだ。
 この先、宗佑一行は鎌倉まで旅を続けるといい。「やそ」は弥一を伴って養老へ帰ることにした。 天正十八年。
 小田原の北条勢があっけなく降伏した。
 初代早雲以来五代続いた関東の覇者が秀吉の大軍団の前に為す術もなく陥落、難攻不落といわれた小田原城を明け渡した。先鋒として活躍した家康がそのまま北条の領地を受け取り、支城の一つであった江戸城に入った。
 養老の「左門宿」の隠居家
 坊主頭の弥一が手習いに励んでいる。この頃は左門爺の叱声も鳴りをひそめ、はねや抜きの間違いを質す程度になってきた。習い始めの頃は、
 「なめくじに墨をつけて這わしたほうがまだましやぞ」
 「肘を上げろや」「力を抜け」などと四六時中叱言をいっていた。「やそ」が見たところ、左門爺の書よりは余程読みやすいとおもえた。ただ左門流儀なのか、余分なはねが多くてうるさい。
 旅から帰り、すぐさま弥一を左門に引き合わせたとき、左門爺はしげしげと弥一を睨め回し。
 「へんな顔やのう、どうにも目立つわな、こないな奴を伊賀宿に出入りさせたら人目にたってしょうないわい」とつぶやき
 「坊主になれや」とのたもうた。左門が懇意にしている千福寺という山寺に連れていき、
あたまを剃らした。
 「経のひとつも覚えろ」といって、住職に頼み込み。以来、弥一は千福寺に住み込み、
坊主修行をするはめになった。
 坊主あたまにされ「べそ」をかいていた弥一であったが、不思議に似合っていた。躯も顔の造作もひと並はずれておおきい弥一である。つい人を竦ませてしまうきらいがあったがそれが頭を丸めることによって、威圧感が消え、逆に「威厳」めいた風格が滲んできた。
 千福寺の住職「良空」はいずれは伊賀につながる出自であろうが、比叡山延暦寺で修行をつんだ本格の僧である。左門爺と何処でつながっているのか定かではないが、酒は飲むし、魚も喰う、なまぐさ坊主を絵に描いたような破格な僧である。山寺の一人暮らしのところへ頑丈な若者が舞い込んできたので大いに喜び、弥一をこき使った。
 弥一もはじめのうちはずいぶんと戸惑ったようだが、生来のきまじめさと頑健な躯で苦もなく馴染んだ。やれと言われれば和尚を負ぶったまま掃除やご用をこなせるぐらいだ。
 左門宿の表の顔である荷駄商いが繁盛している。次助を頭にして「こもり」の若い衆が精を出して立ち働いていた。気の荒い寄せ集まりの人足が相手である、喧嘩口論が日常茶飯事。いかに手なづけ、やる気を起こさせせるかが荷駄商いの「こつ」ともいえる。秀吉が天下様になり治安が安定し、物産の流通が大坂を基に繁くなった。左門宿では、近江の畳表や麻等の荷を主にして、関東や伊勢、飛騨にまで運ぶ。帰り荷に生糸、お茶、漆等を京、大坂に収める。丹波こと百利宗佑の組織網と親密な連携をとって、荷主の厚い信頼を得ていた。
 次助はいまや堂々たる頭である。躯も大きい上、腕っ節も強い。無口なのでともすると愚図におもわれがちだが、長久手の戦で受けた無数の傷と獅子奮迅の逸話に尾鰭がついて伝わり「左門宿の次助と聞けば泣く子も黙る」といわれるほどに海道筋に名が売れている、いつしか人足が着る「左門宿」と染め抜かれたしるし半纏を、人足共は誇り高い象徴として喜んで纏うようになった。
 弥一も次助を慕って付いてまわり、寺から通ってきては力仕事などを手伝っていた。
 「次助よう、この弥一の面倒をみてやってくれい」と「やそ」から頼んでもあったし、弥一も手習いや経読みよりも力仕事のほうがよほど性にあっていて、のびのびと動いている。
 「弥一よ、琵琶湖の「うみ」を見に行こかや」とひとしきり積み荷を送りだし、諸肌ぬいで汗を拭っていると次助が云う。はちきれんばかりに張った褐色の肌に汗がきらきらと光っている。
 「琵琶湖たらは海ですかい」
 「おおさ、真水の湖さ」
 「魚も居りますか」
 「おるぞ、鮒たら、鯉たら、鮎たら、大きな鯰もな」
 「鯛も居りますか」
 「あほかい、真水に鯛は居らぬわい」
 「皆で行って、一晩泊まってくるゆえ、左門の爺さんにことわりゆうてこいや」
 左門の隠居家では、「やそ」が今年出来たという新酒を利いていた。左門の道楽で始めた酒造りが徐々に実を結びはじめて、やっと去年あたりから飲める酒になってきた。
 「どうじゃ「やそ一」旨いじゃろうが。米をよう研いだからのう、まろうなって、いくらでも飲みとうなる酒じゃろう「左門」と銘して、売りに出そうかや」
 「酒のことはようわかりませんが、なんやきつい味ですなあ、二杯も飲んだら酔うてしまいますぞ」
 「混じりもんなしじゃからな、一樽やるよって持っていけや」
 
ー第3部へつづくー