問わず語り
 

ニューハーフ


「愛が海だとしたら、恋は波のようなもの」と、その人が
唐突に話を切り出した。
行きつけの居酒屋でたまたま隣同士になっただけの人だった。
顔は見知っていたが、言葉を交わすのは初めてだった。
その人は一目でそれとしれるいわゆる「ニューハーフ」の人だった。
鼻もツンと高く、唇の形もくっきりとしていて、ゲイノウジンの「ピーター」を
もう少しだけ優しくしたような綺麗な人だった。

「でも海は海なの、波は波なの、いままで、愛や恋は色々な形容詞で語られ説明されてきたのよねぇ、でもどれもみんなたとえにしか過ぎない、愛は愛するもの、恋は恋するものなんよね。10人いれば10人の愛のカタチと恋の心の蠢きがあるのよ」と私の指になにげなさそうに手で触れて言う。
「はぁ」と返事しながら心臓がどきどきしていた。
「お兄さん、大吟醸、1本ねぇ」と店員に頼み、私のグラスに注いでくれる。日頃、飲みたくても我慢していた、久保田の万寿だった。
「お髭のお兄さん(オレのこと)お酒好きなのねぇ、今日は「ミチ」が
奢るから飲んでねぇ」
つい飲んでしまった。
「お兄さんのこと気に入ってしまったのミチ」
「ミチはねぇ、お見かけ通りの「オトコオンナ」おかまでもニューハーフ
でもなんでもいいけど、頭の中も心も生まれつきのオンナなの、だから
男の人しか好きになれないのよ、お兄さん、お名前は?」
「裕司です」
「裕司さんかぁ」いつのまにか左腕が抱え込まれていた。
「今日ミチはお金持ちなの、ショウのギャラ一杯貰ったから、遊びに
行こうよ、知ってる店があるから、行って騒ごうよ」
 
異様なムードのスナックだった。男か女か
判断がつかない、お客か従業員かの判断もつかない。
「あ〜ら、いらっしゃい「ミチ」ひさしぶりねぇ、好みなのこちら
お年のようだけど」なんて、言う。
オレときたら、切り返す気力がない、ことばが浮かんでこない。ボーっと
して、ただ笑っているだけ。
「ごめんね、わたしたちの世界なの、吃驚させちゃって」という
ミチくんの優しいことばでなんとか居所をみつけたぐらいだ。
「ねぇねぇ、いくつ」「58」「うわ〜、お父さんより上」
(ほっとけ、この野郎!)
「バカなの、この子たち、みんな半端なの。面白半分だったり、たまたま
顔がきれいだったりして、それで有頂天になって、こんなことしてんの
ミチはこの子たちとは違うんだけど、でも此処が落ち着くから、飲むときは最後に此処へきてしまうの」
「ミチはねぇ、大学のえらい先生に調べて貰ったら、頭の中の構造が
女なんだって、身体は、胸もないし、男なんだけど、心はオンナ。だから
アナタとこうしていると、とっても充たされるの。ETという映画があったけどSEXなんていらない、指がこうして触れているだけで、満足なの。
『そりゃあ、あなたがどうしてもというんならなんでもしてあげるけど』
と、いう。
「倒錯」という言葉の意味を始めて理解できた。
頭の中ではこの子は男なんだから、と思うんだが、心が妖しく騒ぐ。
『ミチ、カラオケやってよ、みんなあんたの歌聞きたいって』
『うん、いいよ、じゃぁ 吉田日出子の「月光値千金」入れてよ』という
アナタ知ってる?というから『その歌はむかしエノケンという人が唄ってた歌だぜ』と応えた。
『歌える?』と聞くから、
『そりゃあ無理だぁ、オレの親父の頃の歌なんだから』
ディキシージャズ風に味付けされた伴奏が流れ、ハスキーな
低音でミチくんが唄い出した。
フレーズの終わりを「サッチモ」のように震わせて
ブルースになっていた。うまいもんだ。
拍手がきた。いつの間にか、店は満員。立って酒を飲んでいる。
それもみんなオトコかオンナか見分けがつかない連中ばかり、
たまにポツンとあきらかな男が交じっているだけ。
『ヒューヒュー、ミチ、ミチ』と声が飛び交う。
ミチくんはここのスターだったのだ、と解った。
つぎつぎと歌がかかり歌い手が変わるんだが、選曲が変わっている。
聞き慣れない曲ばかり。
「林檎の木の下で」とか「上海リル」(上海帰りのリルじゃなく)
「星影の小径」と古い曲がつづき、後は、憂哥団とか、ウーア、チャラ、
スガシカオ(みんなミチくんが教えてくれた)。わたしに解ったのはせいぜい、美和ちゃん、くわたくん、ミーシャぐらいだった。
『聞き慣れん歌ばっかしだなぁ』
『そうでしょ「オトコオンナ」に似合う歌がないのよねぇ、
みんなジイシキカジョウだから、しぜんにこんな歌になるの』
ミチくんはわたしの左腕を抱えたままいう。
夜中の二時を回っていた。ぐったりと疲れていた。
『オレ帰るわ』
『嫌、まだ駄目。いまからミチのマンションへ行くんだから』という。
 

 タクシーが着いたところは市の中心を少しだけはずれ、河川敷の傍に
建てられた、ピサの斜塔のような円形の超高層分譲マンションだった。
高速エレベーターで35階まで上がり5LDKの室内に入った。
広いリビングの真ん中に、小さな低い木のテーブルと低いソファーがあり
壁に沿ってテレビ、オーディオセット、パソコン、液晶モニターが並んでいるだけ。そっけないぐらいなにもなかった。
『エンジョコウサイでもしてるんじゃないかと、疑ってるでしょう。でも
違う、此処はミチひとり、全部自前で買ったのよ、ミチはねぇ、ショウで
食べてんの、ギャラ高いのよ、これでも全国区だから』
『ふ〜ん』
『オトコオンナでもね、真性と仮性があるの、真性のほうがギャラがいいの何故だか。真性と仮性ではオトコの好みも違うしね、仮性系のコが付き合うオトコはね、チャラチャラした綺麗系のオトコかな、仮性っていってもね、やっぱしオトコオンナだから、オトコが好きなのよ、ただ脳の構造が男なの。
DNAの発達が違うの、むずかしいけどほんとなの、ミチは真性だから、男のフェロモンを感じないと、恋ができないの。ミチの好きだったのは作家の椎名誠さんだったけど、いまは、アナタのトリコになっちゃった』といい、頭を私の胸にもたせてきた。
(やっぱまずいやこれ)と思った。
(おれは真性の男だし、俗物だから、こう進んじゃったらなにしたいしなぁ、ミチくんとなにするってことは、なにのほうにおねがいするわけだから、それ嫌だなぁ)と思ってしまった。
『いいのよ、』
『えっ、なにが』
『いま考えたこと。アナタは男だから、男の身体想い浮かべても想像勃起しないのよね、ミチは残念だけど女のフェロモン持ってないし、アナタはただ海のように、其処に居てくれればいいの、いまはね』
おそるおそる、ミチくんの頭に手をおき、そっと抱き寄せた。
不思議に落ち着いた気持ちになっていた。子供を抱くような、可愛がっている猫を抱くような、愛おしいとおもう気持ちが沸々とわき上がってきた。
『ありがとう』ミチくんが言った。
まるで、おれがいま想ったことがそのまま伝わったように。
『おれの心が解るみたいだなぁ』
『うん、ミチには解るの、小さい頃からね。へんなミチにカミサマがくれた贈り物かも知れないね』
ミチくんはそおっと頭をもたげて、おれの唇に口づけた、うっすらとミントの香りがした。
『さぁ、お腹空いたでしょう、おいしいもの作ってあげる。アナタがいままで食べたことのないもの』と明るい声できっぱりといい、さっと立ち上がった。
妙な気分だった。キッチンできびきび立ち働くミチくんの姿をぼんやり目で追っていた。酔いも醒めかかり気怠い気分。いつの間にか、BGMが流れていた。
キースジャレットのケルンコンサート。
インスピレーションを呼び覚ますには打ってつけの曲だが、頭が働かない。
透明な音のキラメキをただ聞いていた。
『さぁできたわよ』の声で目を覚ました。いつの間にか眠りこんだようだ、時計をみると4時を回っていた。目の前に湯気をたてて、シチュウらしきものと白いマッシュポテトが大盛りにガラスの器に盛られていた。
『鴨のワインシチュウなの、昨日から煮込んでいたの、きっと誰かが一緒に食べてくれると思ってたから… このシェリー酒で口の中を洗ってから食べてね』と古そうなラベルが付いた瓶から、ワイン色の飲み物を注いでくれた。僅かな苦みと僅かな酸味で舌が引き締まったような気がした。
美味いとしかいいようがなかった。じっくりと煮込んで柔らかくなった脂の乗った肉。なんのハーブかはわからないがほんのりと香ってくるなにか。
マッシュポテトをたっぷりシチュウに入れて、夢中で食べてしまった。
そしてふと、この子となら一緒に住んでもいいなぁと思ってしまった。
『良かった、上手に出来て、この鴨ねぇ、ロシアから届いたの、日本に渡ってくる鴨より、一回り大きいの、脂も多いし、ワインはボルドーの×××(←不明)を使っちゃった、20年物』
『ふ〜んロシアの鴨かぁ』といったが、実はオレ鴨そのものの味も知らなかった。
『ミチねぇ、モンゴルに行きたいんだぁ、ねぇ、一緒に行こ』と唐突に言う。
『丈の低い雑草がどこまでもどこまでも生えている大草原の真ん中に小さな「パオ」(ゲル)を建てて貰って、そこで1年ぐらい暮らすの。馬もいて、犬もいる。草原に風が吹いて、ニガヨモギの香りが漂ってくると、遠くのお隣さんの「パオ」のあたりから、おじいちゃんが弾く馬頭琴と「ホーミー」の風の歌が聞こえてくるの。アナタは馬乳酒を飲みすぎて、草の上で昼寝』
『おれは昼寝してればいいのか?「ホーミー」ってなに?』
『「ホーミー」はね、一人で二つの声を出すの。高い声と低い声。低い声が今日の無事の感謝と明日の無事を天と地と風のカミさまにお願いするの、高い声が低い声をはやしたて、それをはげますの。遠くまで遠くまで聞こえるように』
夢見るような眼でミチくんが話す。綺麗な顔だった。

 
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