問わず語り
 

シンビジューム

 「シンビジュウムの花が咲きだしましたが見にきなさい」
 今年86才になる「山本」のおじいちゃんから電話があった。
 おじいちゃんとは釣り仲間である。
 年に一度いく、ハゼ釣りのときにお知り会いになった。
 わざわざ、花の電話をくれたのには理由があった。
 引っ越しのお祝いにと頂いた「シンビジュウム」が花も終わり、不精者のわたしのこと、このまま置いておけば、枯らしてしまうと思い、おじいちゃんにひきとって貰った花だからだ。
 「わざわざありがとうございます。こんどの土曜日伺いますから」
 おじいちゃんのお宅は昔からの農家づくりのままを維持されていて、近頃みかけなくなったいわゆる「百姓家」である。
 生け垣の珊瑚樹に添って歩き、門を潜ると、広い、ちょっとした広場のような庭がある。かつてはその庭で、田や畑で獲れた収穫物を脱穀したり干したりする作業場として使われた庭であろうが、田や畑をなくした現在は、息子さんや、孫さんたちの駐車場になっている。庭の隅に花畑があって、その隣にビニールシートで囲われた温室があった。
 「これですよ、元気に育ちましたよ」シートを大きく剥いて、おじいちゃんが云う  みると、3つの鉢に分けられた、見覚えのある蘭の花が見事に咲いていた。
 「まだ一ヶ月は持つと思いますから、持って行きなさい。花が終わったらまた持ってくればいいから」
 温室には、花屋さんでよくみかける蘭の鉢植えが幾鉢か並べてあった。
 「この鉢もみんな、何処かから集まってきた鉢なんですよ。購ってきたもんはひとつもありませんよ」とおじいちゃんは笑う。
 「寄せ植えしてありますもんでな、株分けして、植え込みの材を換えてやれば、たまに肥料をやるだけでよう育ちます」
 なつかしい縁側でキセルにきざみたばこをつめながら、おじいちゃんが云う。
 「ずいぶんと古いたばこ入れですね」
 「ハハハァ、古いでしょう。儂のじいさんが使っておったもんですわ」
 手油で黒光りして、所々擦り切れ、もとの朱い漆の色がわずかにみてとれる印伝細工のたばこ入れを愛おしそうに触る。
 「そうそう、こんな手紙がきましてね。あなたに読んでもらおうと…」
 濃い緑茶を淹れてくれながら、可愛い千代紙で作られた文箱から一通の封書を取り出した。
 四角い大きな仮名文字でそれは書かれてあった。

 「やまもとのおじいちゃん ふみのすきなきいろの ばらのはなを またげんきに さかせてくれてありがとう。 あのはなは おとうさんがおかあさんのたんじょうびにかってきてくれた はなです。きれいなのでみんなすきでしたが はっぱにしろいこながついてから はながだんだんさかなくなりました。このあいだ おじいちゃんのおにわでみたとき またげんきにきれいなきいろのはながさいていたのをみて ふみはうれしくなりました。おじいちゃんはおはなのおいしゃさんだねって おとうさんがいっていました。ふみもそうおもいます。またはながさいたらみにいっていいですか。ふみ」

 
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